481922 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

あしあとひとつあしおとふたつ 芸文館公演

戯曲 あしおとふたつ あしあとひとつ 芸文館公演 2014/11/3

 
   一人芝居   瞽女ものがたり

  あしあとひとつ あしおとふたつ

                      原作「月に吠える少年」  今田 東
                      脚色              吉馴 悠
     

         人
         時
         処

         情景
         激しい三味の音が大きく響いている。
         舞台は真っ暗闇である。
舞台には障子が三枚連なって並べられている。それがホリゾントの役割をすること。障子の前に衝立があり畳敷きの部屋を作っている。ホリゾントの障子の色は季節感や物語の心象風景を色で表わすこと。

暗闇の中に下手に一筋の小さなスポットが下りて、その中にごぜの旅衣装をしたお菊が入っている。舞台にはだれもいないということ。声のみである。
三味の音にかぶさるがごとく声が聞こえてくる。語られている間に、
お菊は舞台を一回りして、旅衣装を脱ぎ舞台衣装に変える。中央に正座し手をついて平伏している。

離れごぜになった者は、ごぜの規律を破った娘ばかりではありませんわの。三味が上手で唄もうまくて人気者になり、村の人達にちやほやされて、有頂天になって、一人で歩いた方がお金が沢山貰えると、欲の皮をつつぱらせて屋敷を出ていった娘もいましたわ。その娘達の行く末は、男に捨てられ、年老いて野たれ死にをすることが多かったわの。欲が絡んでは三味の音も濁るし、声も前に出んわの。また、幾ら教えてもよう覚えん娘もいましたわの。その娘等は、修業の辛さに耐え切れんと辞めて行ったわの。その娘等は温泉宿のあんまさんになることが多かったわの。人間が生きると言うことは、三味が巧いとか、唄が上手とかではねえ。下手でも自分の定められた道を一生懸命にこつこつと足を一歩一歩前に出す事じゃと思うわな。お菊は確かに一歩一歩前に進んどった・・・。誰にだって過ちはある。みんなそのすれすれのところで生きているのかも知れん、、。お菊が村の男を好きになってしもうたんも分からんではねえ。誰だって心の中は淋しい。弱い。だから、色々の規律をこしらえて、その規律に縛られとらんと、ついついごぜの道を踏み外すことになる。一人では生きられん。・・・男の甘い言葉も欲しい。そして、その言葉に酔いもしたい、。まして、年頃の娘ならなおさらの事じゃ。お菊は三味も唄もうまかったわの。それに、雪の白さに負けん位の色白のべっぴんじゃと村人が騒いどった。それより、なにより、お菊は素直じゃった。明るかった。その素直さと明るさが、男に好かれたのかも知れん。その純粋さが男の甘い言葉をまともに受けとめて、一途に愛へと走っのかも知れん・・・。お菊の事は、今でもうちは心配しとる。風の便りで夫[つれあい]を雪崩でのぅしたと聞いた。みどり子を抱えて旅回りをしとると聞いた。・・・お菊には真実の愛を貫いて、本当の幸せになって欲しいと願うとったんじゃがが・・・目が見えん者でも、人並み以上に幸せになれ、生きられると言うことを、お菊を通して知りたかったわの。うちらが出来んかった女としての幸せの道を歩ゆんで欲しかったわの。それなのに、なんして・・・。運命は何時の場合でもむごい事をしよる。弱い者を痛めつける。悲しませるわの・・・。でも、あのお菊なら、あのお菊なら、きっと立ち直ってくれ、新しい幸せを見付けて生きてくれようと思わんではの・・・。そう思わんでは淋しすぎる、哀しすぎるわの・・・。おきく、おきく一からやり直せばええんじゃから、一から・・・。落とされても最初からやり直せばいいのじやからの…。

        ひときわ三味の音が鳴り響く。明りが下りてくる。
        障子の後ろから小さな赤の明りが差し込んでいる。
お菊は深く頭を垂れていたがゆっくりと顔をあげて、三味は左側に置いている。

お菊  ようこそお越し下されました、こんなはなれ瞽女のために仰山お越しいただきましてありがとうごぜいます。うちのようなものに瞽女宿をおかしくだせいましてお礼を申し上げます。
     間
ここまでの道すがらたくさんの草花が咲いている中を歩いてまいりました。匂いで何が咲いているか、見たことはありませんがいろいろと思い描いて心を弾ませながらの旅でした。鳥のさえずり、風の音、それらに手をひかれるように歩いてまいりました。
今年は山桜がさくのがいつもよりおそうてと皆様が嘆いておられやした。風の便りではもうすぐに梅雨がというところもあるそうで・・・。わたくしが歩いてきた道沿いの小川にはまだ雪解け水がざわざわとながれておりやして・・・。この分だと田植えがおそうなるのではといわっしゃつておられましたが…。
水といえばこの前、華厳の滝に…。なんでも一高の学生さんが、ホレーシーヨの哲学がなんたらかんたらというて滝に身を投げた・・・。家柄のええところの学生さんで、末は博士か大臣かと言われとったそうじゃが、この世をはかなんでのことらしいのですが、なんも死んでしまうこともなかったと思いますじゃが、死んで花実が咲くでしょうか…。何も急がんでもええのに、やがて人さまはみんななくなるというのにな…。その学生さんには明日が見えなんだということですの。
この前ごぜは何を楽しみに生きているのかと問われ、それりゃ明日があるからですがなと答えるとみんな黙ってしまわれましたがの。今日どんなにつろうても悲しゅうても、明日が来ると思えば生きられましたけえ。簡単にいえば明日があるから今日を生きられるということですじゃ。夢ではねえこれがうちらの生きざまですじゃ。つらいことや悲しいことを忘れるためにそう思う、いいや、うちらの心の中においでになる御仏の教えですじゃ。
今日本はロシアと戦うとる・・・富国強兵とか・・・。どこもかしこも男はおらんようになっとります、そんなことを新聞の書いておりやして…。ああ読んだのでなく聞いたのですが…。どこも年寄りと女と子供たたちばっかりでね、ご無事で帰られることを思い手を合わせます。

まあ、そんな堅苦しい話ではおもしろうもおかしくもねえから、ちょっと戯言をお見せいたしましょ。てづまをおみせたしましょ。
     針と糸を口に含み針に糸を通す。
ごぜは幼いころから針仕事を習います、その時に針に糸を通すときにこのようにして通します、てづまでもなんでもありません、人として生きていくために必要なことですじゃ。糸を通して着物を縫い、やぶれたもののつくろいも…。こころがやぶれたら継ぎあてもします…。
そういやは山を降りたところの庄屋さんのところには初孫さんが生まれなさった。目に入れてもいとうない、なんでも食べてしまいたいというほどかわゆてということらしいのです。そんなことで村のお人達は振る舞い酒によってごじゃした…。喜びを分かち合う、悲しみをみんなでおすそ分けをして軽くする…。これは人としての思いやりというものらしゅうごぜます。そんな話が世間には転がっておりましたわな…。
ひとは生まれてきたときから四百四の病を持って生まれてきたということです。死ぬるというのが一番の大きな病・・・。病をだましだまして生きています…。病と話ができるようになるのには二十年はかかり、それからが病と相談しながら本当に生きるということでございます。病に勝つのは何事も明るく考え笑って生きていくしかねえと思います。うちらは夕日を感じてきれいだと思い小川のせせらぎの音に強弱を感じたたずみ聞き入ります。そんな時どんなにさみしくても悲しくてもこころが洗われるようになります。生きているのだと感じ手を合わせて感謝します。何事にも心動かして喜び感謝することが大切ではねえかと思うのでございます。それが生きていくことのように思うとります。
良寛さんの話を…。
良寛さんの弟さんの息子さんは酒と女と博打と三拍子そろった道楽者であったということで、その息子にひとつ説教をしてくれと良寛さんは頼まれます。良寛さんは断りましたが是非にということで仕方なく息子さんに会うことになりました。良寛さんは息子さんを前にして座りましたが何をどのように話していいか分からずにじっと座っていました。良寛さんはたまらなくなり立ち上がって草鞋をはこうとしているところへその息子さんが来てはかそうとした時に手の甲に冷たいものがぽたぽたと落ちてきたそうです。それは良寛さんの両の目から流れる出る涙であったのです。その息子さんが心を入れ替えたかどうかは分かりません…。思いが通じたのかも知れません…。
人のこころのひとこまです。

     間
ここらで景気づけに「おけさ節」でも歌いしましょうかな…。
     お菊は三味袋から三味を出して音を合わせて弾き始める。
   ハアー 佐渡へ (ハ アリャサ)  佐渡へと草木もなびくヨ (ハ アリャアリャアリャサ)

    佐渡は居よいか  住みよいか (ハ アリャサ サッサ)
お囃子は以下同じ
ハアー 佐渡へ 八里のさざ波こえてヨ 鐘が開える 寺泊
ハアー 雪の 新潟吹雪にくれてヨ 佐渡は寢たかよ 灯も見えぬ
ハアー 佐渡へ 来てみよ 夏冬なしにヨ 山にゃ黄金の 花が咲く
ハアー 來いと ゆたとて行かりよか佐渡へヨ 佐渡は四十九里 波の上
ハアー 波の 上でもござるならござれヨ 船にゃ櫓もある 櫂もある
ハアー 佐渡の 金北山はお洒落な山だヨ いつも加茂湖で 水鏡

ハアー 霞む 相川夕日に染めてヨ 波の綾織る 春日崎
ハアー 夏の 相川夕焼け雲にヨ 金波銀波の 春日崎

ハアー 真野の 御陵(みささぎ)松風冴えてヨ 袖に涙の 村時雨
ハアー おけさ 踊りについうかうかとヨ 月も踊るよ 佐渡の夏

ハアー おけさ 踊るなら板の間で踊れヨ 板の響きで 三味いらぬ

ハアー 佐渡と 越後は竿さしや届くヨ 橋をかけたや 船橋を
ハアー 佐渡と 柏崎ゃ竿差しゃ届くよヨ 何故に届かぬ 我が思い
ハアー 佐渡の 三崎の四所御所櫻ヨ 枝は越後に 葉は佐渡に
ハアー 佐渡の 土産は数々あれどヨ おけさばかりは 荷にゃならぬ

ハアー 月は 傾く東は白むヨ おけさ連中は ちらほらと
ハアー おけさ 正直なら傍にも寢しよがヨ おけさ猫の性で じやれたがる
ハアー 来いちゃ 来いちゃで二度だまされたヨ またも来いちゃで だますのか

ハアー 来いちゃ 来いちゃでおけさは招くヨ 佐渡は踊りに 唄の国

ハアー 佐渡の おけさかおけさの佐渡かヨ 渡る船さえ おけさ丸
ハアー 居よい 住みよい噂の佐渡へヨ 連れて行く気は ないものか
ハアー 度胸 定めて乗り出すからはヨ 後へ返さぬ 帆かけ船

ハアー 山が 掘れたら黄金が出るにヨ 主に惚れたら 何が出る


ハアー 泣いて くれるな都が恋しヨ 啼くな八幡の ほととぎす

ハアー 花に 誘われ雲雀にゃ呼ばれヨ 今日も出て行く 春の山

ハアー 明日は お発ちかお名残惜しやヨ せめて波風穏やかに

ハアー 島の 乙女の黒髪恋しヨ またも行きたや 花の佐渡

ハアー おけさ 連中と名を立てられてヨ おけさやめても 名は残る

ハアー 沖の 漁り火涼しく更けてヨ 夢を見るよな 佐渡ケ島

ハアー 沖の(遠い) 漁り火夜になく鴎ヨ 波は静かに 更けていく

ハアー 二見 夕焼け三崎は霞むヨ 真野の入り江に 立つ鴎
ハアー 小木は 間で持つ相川山でヨ 夷(えびす)港は 漁で持つ

ハアー あなた 百までわしゃ九十九までヨ 共に白髪の 生えるまで

ハアー 咲いた 桜になぜ駒繋ぐヨ 駒が勇めば 花が散る

ハアー 佐渡で 唄えば越後ではやすヨ 踊る鴎は 波の上

ハアー 海じゃ 漁する鉱山じゃあてるヨ 佐渡は住みよい 暮らしよい

ハアー 佐渡の おけさと日蓮様はヨ 今じゃ知らない 人はない

ハアー 仇し 仇波寄せては返すヨ 寄せて返して また寄せる

ハアー 仇し 情けをたもとに包みヨ 愛はゆるがぬ 襷がけ

ハアー 浅黄 手拭鯉の滝登りヨ どこの紺屋で 染めたやら

ハアー 三味や 太鼓で忘れるようなヨ 浅い思案の わしじゃない

ハアー 浅い 川なら膝までまくるヨ 深くなるほど 帯をとく

ハアー 押せや 押せ押せ船頭も舵子もヨ 押せば港が 近くなる

ハアー お国 恋しや海山千里ヨ みんなご無事か 佐渡島


ハアー 追えば 追うほどまた来る雀ヨ 引けば鳴子の 綱が鳴く

ハアー 矢島 経島小舟で漕げばヨ 波にチラチラ 御所桜

ハアー 待つに 甲斐ない今宵の雨はヨ 家におれども 袖濡らす

ハアー 嫌な お客の座敷を離れヨ 丸い月見る 主のそば


ハアー 思い 出すなと言うて別れたに 思い出すよな ことばかり

ハアー 恋に 焦がれて鳴く蝉よりもヨ 鳴かぬ蛍に 身を焦がす

ハアー 浪に 浮島浮名は立てどヨ 恋に沈んだ 音羽池

ハアー 伊勢は 朝日よ佐渡では夕日ヨ 海の二股 またがやく

ハアー 西行 法師は山見て勇むヨ わたしゃ主見て 気が勇む

ハアー 酒の 相手に遊びの相手ヨ 苦労しとげて 茶の相手

ハアー 花か 蝶々か蝶々が花かヨ 来てはチラホラ迷わせる

ハアー 水も 漏らさぬ二人の仲をヨ どうして浮名が 漏れたやら

ハアー 泣くな 嘆くな今別れてもヨ 死ぬる身じゃなし また会える

ハアー 固い ようでも油断はならぬヨ 解けて流るる 雪だるま

ハアー 遠く 離れて逢いたいときはヨ 月が鏡に なればよい

ハアー 望み ある身は谷間の清水ヨ しばし木の葉の 下くぐる

ハアー 咲いた 花なら散らねばならぬヨ 恨むまいぞえ 小夜嵐

ハアー 花も 実もない枯木の枝にヨ 止まる鳥こそ 真の鳥

ハアー 佐渡の 海府は夏よいところヨ 冬は四海の 波が立つ

ハアー 佐渡の 二見の二股見やれヨ 伊勢も及ばぬ この景色

ハアー 梅の 匂いを桜にこめてヨ しだれ柳に 咲かせたい
 
ハアー 新潟 名物朝市見やれヨ 一にイチジク 二に人参ヨ 三にサンド豆 四にシイタケ
五にゴボウで 六大根 七つ南蛮売りナス売り菜売り 八つ山の芋 九に栗クワイ
十でとうなすカボチャが売り切れた
 
ハアー 来いと 云うたとて ちょっこらちょいと隣の酒屋へ徳利持って
1合や2合の酒買いに行くよなわけには 行かりょか佐渡はヨ 佐渡は四十九里波の

     この中の一つを歌う。
     ひとつか二つを選ぶことを立案する。
     三味の音が静かなに奏でだす。
     障子の色が青に変わる。
     お菊は下手に変わっている。
     
お菊  うちは生まれた時からのめがみえなんだのではありませんでした。二歳の時にはしかにかかり、高い熱が続き、お医者に診て貰ったのですが、その時はもう手遅れで目が見えんようになったのでした。山を一つ越した所にある神社が、目の病に良く効くと父が聞いて来まして、うちは「め」と書いた絵馬を奉納して、毎日毎日父に連れられてお願いに通いましたが、治ずじまいでした。 うちが生まれた村は山の中で僅かな田と畑しかありませんでしたから、貧しかったのです。だから、どこの家も、長男と長女を産むと、後の子は、産まれてもすぐ首を締めて殺し川に流す風習がありました。それは、村の掟のようになっていました。人間が増えればそれたけ食料が足らなくなり、村全体が滅びてしまうと言うことなのでした。うちは二番目の女として産まれたのですが、母がどうしても殺すことは出来ないと頑張ってくれて育ったのでした。
 産まれてきても殺されて川に流される子の事を日みずっ子と言うのです。
 ですから、うちは村でも隠れるように暮らしていたのですが、病で目が見えなくなり、村の人に知れ、父と母は村八分にされてしまいました。村八分とは、火事があった時、火消しと跡形ずけの手伝いと、死人が出た時、葬式を手伝うと言うもので、後の付き合いは断つと言うものでした。
 そんな家でしたが、うちは父と母、兄と姉に可愛がられて育ちました。
 うちがだんだん大きくなるにつけ、父と母は考えなくてはなりませんでした。うちをいっまでも家に置いておくこと、うちの将来に良くないと考えたのでした。
 父と母、うちが座っていました。
「お菊、お前は目が見えんのだから、あんまさんになるか、ごぜさになるか、どっちがええ」
 父はうちに言いました。うちは何の事かわからずうっむいていました。
「あんた、そう言うても、まだ五歳のお菊にはわからないわな。うちだってどちらがええとも答えられん」
 母はそう言ってうちの顔を見ました。
「習い事は早い方がええと思うて、、」
「まだ幼いんじゃから、家におらせて」
「今度、ごぜさが来たら相談をしてみるか。わしは、お菊がごぜさになってくれたらと思うんじゃが」
「目が見えんよぅになるんじゃったら、育てるんじゃなかった。」
 母は目頭を押さえました。
「今更、何を言う」
「せいでも、うちは辛いんじゃ」
「そりゃ、このわしだって。わしらとて何時迄も生きていて、お菊を見守っていてやることは出来ん。だから、お菊が一人で生きて行ける道を捜しだしてやらにゃならん。わしらだけの淋しさだけを考えておったら、それだけ、お菊の生きていく道を邪魔することになるのじゃからな」
「あんた!」
「そうじゃ、思い付いたら早い方がええ。気の変わらん内に、明日にでも、わしはお菊を連れて高田に行って、座元の親方さんに会って頼もうと思う」
「そんなに急に決めんでも」
「いや、早い方がええ。お菊、わしらは、おまえが可愛くねえからごぜさにするんではねえ。目の見えんお菊には一番じゃと思うからじゃ。お菊は唄がうまい、歌を唄ってみんなよろこばせて、、。わしらとて、お菊を手放すのは辛いが、、きっと、後に、わし等の気持ちが分かってくれると思うから」
「うちは行きとうねえ、行きとうねえ」
 うちは母の胸に飛び込んで行きました。
「行かしとうね。行かしとうねえ。けど、けど、、」
母はうちを抱いて言葉を詰まらせました。
「お菊、わかってくれ。お願いじゃ。わしらも辛いんじゃ、手放しとうはなえ。が一人前のごぜさになって生きてくれ。それしか、お前の生きる道はないんじゃから」
 父は優しく言葉を投げかけました。
「うちがごぜさになれば、お父や、お母は嬉しいんか」
 うちは見えない目を父に、母に向けて言いました。
 父の頬には幾筋も幾筋も涙が流れているのがわかりました。
「お菊!」
 母はその場に泣き崩れました。
「なら、うちはごぜさになる。お父やお母がそうしたほうがええと云うんなら、うちはごぜさになる」
 翌日、うちは父に手を引かれて家を出ました。小さな風呂敷包みを小さな胸に抱えていました。
「お菊、元気でな」
 兄が声をかけました。
「お菊ちゃん、負けたらいかんで」
 姉が涙声で言いました。
「お、き、く、」
 母は前掛けで涙を拭き拭き叫びました。
 うちはその声に何度も何度も振り替えっては、頷きました。
 幼いながらも、自分がごぜになるしかないことを知るのでした。
 長い道のりでした。歩いたり、父の背に負ぶさったりしました。うちは父の背が広く大きいと思いました。時折、その背が小刻みに震えているのが伝わってきました。
 高田のごぜ屋敷に入りました。
「お菊と申します。どうかよろしゅうお願いします。よろしゅう頼みます」
 父はうちを紹介し、親方にお願いしました。
「お菊、ここが今日からお前の家じゃからの」
 親方は妙に乾いた声で言いました。
「お父、いやじゃ、うちはいやじゃ。お母の所に帰りたい。。お父、お父」
 と、うちは泣きながらさばり付いていきました。
「お菊、わかってくれ・・・。親方さんの言われる事をようにきいてな、早ょう立派なごぜさになってくれな。お願いじゃ」
 と、父はうちを抱き締め諭しました。
 父は、何度も何度も頭さ下てうちの事を頼み帰っていきました。
 うちは父の後を追おうとしました。
「泣いて帰ると言うか。これから、どんなに辛うても淋しゆうても泣けんのだから、今日は涙がのうなるまで泣くとええ。が、帰ろうと思うたらいかん。逃げて帰ったら、お前のおととやおかかが困るだけじゃ。一端この屋敷に入った者は、定められた日以外の日に逃げて帰れば、沢山の金をもって、おととが謝りに来んといかん定めがあるでな・・・。心配や、迷惑をかけたらいかん。目の見えん者は、誰の力も借りずに生きていくのじゃ。誰も当てにはならし、助けてもくれん。同情や哀れみ受けたらいかん。そのためにも、これから、芸をしっかり身に付けるのじゃ。一人で生きて行ける芸をな」 親方の言葉は、静かな空気の流れる部屋に厳しく響き、お菊の幼い胸にしみ込んでくるものでした。
 うちにとって、ごぜ屋敷の修業は、辛く厳しいものでした。広い部屋の掃除から始まりました。不慣れで、廊下から土間に転げ落ちることなどしばしば、柱に頭をぶつけることも度々でした。目が見えないのですから、普通の人と同じよぅに生活をする為めには、手と足、鼻と耳で目の変わりをして、世の中のことを覚えなくてはなりませんでした。
 うちが三味の練習を許されたのは、一年経ってからでした。それまで、座敷の隅に座り、ごぜの三味や唄、語りをじっと聞く毎日でした。
「やりなおし」
 親方は、畳を叩き、最初から弾かせんるのでした。うちの撥を持つ手が震えました。
「やりなおし。何べん教えれば覚えるんだい。どぢだね、まったく」
 親方は音が違うと大きな声で叫びました。うちはその度に耳をふさぎました。
「耳をふさいではいかん。耳は私等の命ぞ。耳をとうして身体で覚えるのじゃ」
「はい」
「教える方も命がけなら、習う方も命がけでのうては、人より優れた芸人にはなれん。このうちはおまえに命をかけて教えておるのじゃ」 
「はい、すいません。うちは一生懸命に頑張りますから教えてください。お願いします」
 うちは、縋るような顔をして言いました。
 三味の糸で指先が切れ血が流れでましたが、うちは痛さをこらえて習いました。
「日本海の荒い波の音に負けたらいかん。波をのりこえて、その向こうまでとどかせるような響きを出せんと、人様に聞いて貰える一人前の芸とは云えん。音にお菊の魂を入れるのじゃ」
 親方は物差しで、うちの肩や手首をびしびしと叩きました。うちは痛さなど忘れてもう夢中で弾きました。唄の修業も、真冬の日本海に面した岩の上で、冷たい風をまともに受け身を凍らせながら習いました。
「それくらいの声は誰でも出す。声はおなかから出すものじゃ。人より優れたいい喉でのうては芸人とは云えんし、一人では生きられん。岩に砕けるる怒涛を押し返すほどでのうてはいかん」
 親方に叱られました。喉から血を吐きました。うちは泣きながら唄い続けました。顔は波のしぶきに濡れ、刃のようなとがるた冷たい風が、突き差さるように吹き付けていました。うちは修業の辛さに負けそうになりましたが、早く一人前になって、お父やお母に会うのだと言う気持ちで頑張りました。
「おととやおかかに会いたいじやろう、胸で泣きたいじゃろう。じゃが、会えばよけいに辛くなり、今までの苦労も消えてしまうぞ。あと少しの我慢じゃ。お菊が一日もはよう一人前のごぜになることを願うとんは、わしでもなえ、幼いお菊を手放したおととやおかかじゃからの。早よう一人前になって里に返られるようになることじゃ」
 親方の言葉は優しい中にも厳しいものが含まれていました。うちはこっくりと頷き、一層芸に身を入れました。
 うちの父は時折ごぜや屋敷に来て、玄関戸の隙き間から様子を伺つていました。うちの事が心配だったのでしょう。ですが、母は、辛い修業の様子を見る事の出来るほど強い人ではありまんでした。家で一日も早く一人前になってくれと祈ってくれていると思いました。
「お菊は三味も唄も上手になるのが早いわの」
「お菊は、色白で、べっびんで大きゆう成ったら男がほっとかんじゃろうて」
「お菊は、明るうて、素直でええ子じゃのう」
 と、ごぜの仲間から言われるのでした。
 毎日、毎日が三味と唄の修業のあけくれでした。辛かった修業も何時しか菊の心の中で楽しく思えてきたのです。新しい曲を、唄を覚える、その楽しみがうちの心の中に芽生えていきました。
 歳月が過ぎました。うちが初旅にでたのは十一歳の時でした。少し目の見えるごぜを先頭にして、饅頭笠を被り、背荷物を負い、左手に三味抱え、右手を前の人の荷物にかけて、一行四人が連なって旅をするのです。 
「ごぜんぼ!ごぜんぼ!」
 そう呼ぶ者達はごぜを蔑んだ者達でした。ごぜさと呼ぶ人達は、ごぜを暖かく見守ってくれる人達でした。
ごぜ達一行は、家の前に並んでんで三味を弾き短い歌を唄って、門付けをして回りました。家の人が、お金か、米か、家にある物を、ごぜの首に掛けた袋に志として入れてくれるのでした。そして、次の家へと移って行くのでした。
 ごぜの回りには子供達が集まつて来ます。その中にはうちと同じくらいの子もいました。母に戯れている声を聞き、お父、お母に会いたいとお菊は思いました。この旅が終わると、里に帰れるのです。お菊はそのことばかり考えるていました。それに、うちは、もう一人前のごぜだと言う心構えが出来ていました。人前で泣いては叱られます。そう親方から教えられていました。 
 陽が暮れると、名主とか庄屋の家に泊まりました。そこがごぜ宿となり、村の人達がみんな集まり、楽しい一夜になるのでした。何一つ楽しみのない村の人達は、ごぜの三味と唄、語りを聞きに来るのでした。ごぜ達は三味を弾き、唄い、語り披露するのです。村の人達は三味の音に酔い、唄に笑い、語りに泣きました。そうした旅を続けながら、修業積んでいくのでした。
「ご飯は一杯だけ。おかわりをしてはいかん。魚や汁が付いても決して手をつけては行かん。漬物だけ頂くこと、どんなにすすめられても断るんだよ」
 親方にそう言われていました。目が見えないからと言って同情されたり、哀れみをうけてはいけない。ごぜは芸を売って生きるのだと言う規律でした。
「男を好きになったらいかん。愛したら地獄に落ちる。ごぜの規律を破るものは、腕を切り落とし、ごぜ屋敷から追放するからね。離れごぜは地獄への道ぞ」
 男を好きになつてはいけないというのも、ごぜの規律でした。親方から
男を好きになってはなれ瞽女になった人たちの悲惨な運命を聞かされて、うちは育ちました。
ごぜは旅をしていても、春と夏の祭りと盆と正月にはごぜ屋敷に帰ります。親元に帰って、旅の疲れ、修業の厳しさを癒すのです。
 うちにとっては初めての里帰りでした。心が浮き立ち、足も軽く里へと向かいました。旅の疲れなどありませんでした。心の中にはお父やお母に、兄ちゃんや、姉ちゃんに会えるという嬉しさで一杯でした。 
「辛かったろう。淋しかったろう。うちはお菊のなんの力にもなってやれなんだが、、こんなに立派になって、大きゅうなつて、、、」
 母は両手で顔を覆い泣きました。うちも母の胸に飛び込んで思い切り泣きました。お父やお母に会うたら、あれも言おう、これも言おうと思っていた事が、どこかえ消えてしまい、出るのは涙だけでした。
「お菊、よー頑張ってくれた。ほんに大きゅうなつて。親方さんはおまえのこと褒めとったぞ。辛抱強い頭のええ子じゃとな。三味も上手じゃし、唄もうまいと」
 父の声は涙に濡れていました。
「お菊、よう頑張ったの」
「お菊ちゃん」
 兄も姉も目をうるませていました。
「お父、お母、兄ちゃん、姉ちゃん、うちは定めと諦めとるんよ。その中で力一杯に生きようと、、。この三味も唄も、お父やお母にほんとうは一番に聞かせたかったんよ。そのために一生懸命に習うたんじゃもんね」
 そう言って、三味を出して弾き始めました。うち眼からは新しい涙が溢れ、頬を伝っていました。 
                     暗転
     


© Rakuten Group, Inc.